vol.1 衝動につき
2023.05.05

2021年5月。前年から続く世界的なパンデミックによって、福岡にも緊急事態宣言が発令されていた。外出を控え自宅で過ごす時間が増えており、僕は衝動に駆られパソコンと向き合っていた。数十年も認識しておきながら潜在領域に沈めていた何かが、ふわっと浮かび上がりトリガーとなっていた。どうにも形容しがたく詳しくは後述するが、その瞬間だけを切り取ると「漆塗りのスケボーを作る」とにかくそう思った。気づけば、検索で表示された会社の数々に制作依頼のメールを送りまくっていた。返信を頂いた中でも博多漆芸研究所の方が、鹿児島県のある塗師をご紹介下さった。漆器ではない、大きな対象物の漆塗り。「九州にはこの方以外いらっしゃらないと思います」と、ご紹介頂いたのが中薗仏壇うるし工芸の中薗さんだ。何度かメールでやり取りをしたのち、その年のお盆休みに南九州市川辺町にある中薗さんの工房を訪ねた。
全国からその技術を頼りに仕事が入ってきて、多忙な日々を過ごされていることは事前情報で得ていたが、彼はあっさりと僕の依頼を快く引き受けてくれた。しかし、この活動に対する不思議感は拭えなかった。中薗さんはただ「変わってるね」と一言。それもそのはず、ただそれを作ってみたいというだけでこれといった理由は見当たらない。さらには、その時点で…というか現時点でも、驚くべきことに僕は漆塗りに強い興味があるわけではない。でも、「なんかやってみたい、とにかくやってみたい、だから作って下さい」そう伝えた。今思うと、なんて意味不明で失礼な依頼主だろうかと猛省する。ただその時の中薗さんが、「僕は仕事を受けるかは、人を見るからね」と言って、自賛するわけではないがとてもラッキーなことに、どうやら受注条件をクリアしたらしい。
川辺町は古くから仏壇の一大産地として栄えてきた。川辺仏壇として国の伝統的工芸品に指定されている。仏壇は大別すると、木地 / 金具 / 宮殿 / 塗り / 彫刻 / 蒔絵 / 箔 という七つの工程で製作されるそうだが、その中の塗りを担当する中薗さんとのご縁を頂いたというわけだ。スケボーのデッキに文字や絵も載せたかったので、装飾をやって下さる職人も同時に探していた。そこで中薗さんに紹介してもらったのが、蒔絵師の永野さんである。工房にお邪魔した時、彼の話が印象的で時間を忘れてのめりこんだ。蒔絵に留まらず、多種多様な手作業のモノづくりに挑戦されており、それを心底楽しそうに語っていた。そして、永野さんも僕からの注文を面白そうだと引き受けてくれた。こんな風に、とんとん拍子で話が進んだ。僕はこのあたりから、出来上がったプロダクトをデッキアートという位置付けで誰かの手に取って頂こうと意識するようになる。
のちに、モノづくりに対する中薗さんと永野さんの考え等についてお話を伺ったので、それについては別途記事にする。さて、さっきから僕の心をかき乱す感情の正体は一体何なのか。それは、後日出会うことになるナガイキロクのフォトグラファー永井さん及び、カジワラブランディングのアートディレクター梶原さんとの打合せの中ですぐに答えがでた。端的にいうとコンプレックスだった。そう、何のことはないただのコンプレックス。しかし世間を知らない、そして経験の浅かった10代頃までの僕にとっては、非常に複雑で根深い問題であったことも同時にわかった。言い訳になるが、こうやって文章に起こすまでに相当な時間が経ってしまったのには、明確に言語化ができず輪郭のはっきりしないネガティブな何かと向き合うのが億劫になっていたからだ。
後先考えずに行動力がこれほど爆発したのは人生でも数回しかない。実は、前年の2020年に父が他界したという出来事の影響が大きい。馬鹿なことに、心のどこかで”親はずっといるものだ”と決めつけていた。父は脱サラをして染物職人として家族を養っていたのだが、僕はこの伝統的な職業をずっと否定的な感情で捉えていた。そういった家庭環境の一方で、学校生活のコミュニティでは流行りのものを所有することが正義という価値観の中で息苦しさを感じていた。それは特に、横乗り系やストリートファッション周辺でのことだった。前述のコンプレックスの正体はこれ。つまり、一つ目は元来この国の中にある「伝統文化について」そして、二つ目は外から入ってきた「ストリートカルチャーについて」である。
様々なトラウマ体験がコンプレックスを形成してモクモクと成長し、二つの大きなテーマとなり僕の人生の前半に並走してまとわりついた。父の死をきっかけにして、単純に一つ目のコンプレックスから解放されると思っていたが逆の現象がおきた。僕や家族を育てた職人という生き方を否定したまま終わることが、とても気持ち悪く感じたのだ。どうにかこの感情をソフトランディングさせることはできないか。振り返れば、自宅に籠っていたあのパンデミックの時期にこのようなことを思考していた。結果として、このブランドを起ち上げることになる。バランサーとして”第三の存在”というものを産み出したいと思った。
最近知ったのだが、自由意志の存在を否定する研究結果があるらしい。人が何かの行動を起こす際、そうしようと思考よりも数秒先に脳波が発生しているというものだ。もちろん賛否両論あるだろうが、学者が”意思より脳の行動命令が先”という切り口で科学的アプローチをしていることに心のどこかでほっとする自分がいた。突拍子もない、まさに衝動であったけれど、そこには今後記事にするであろう沢山の人との出会いとそれにまつわる物語との出会いがあった。まずはそれらに感謝をし、さらに行動を上書きすることでこれまでの流れを意味あるものにしてゆきたい。
2023.05.05

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