vol.5 ストリートカルチャーについて 2/2
2024.05.05

ネットが普及していない時代に、前記事に記載したような出来事が同時多発的に発生したわけだが、同年代の方々で何一つ影響を受けていない人が果たしているのだろうか。お小遣いで初めて購入したCDは、嵐の「A・RA・SHI」なのだが、今思うとアイドルグループがラップを歌うという現象自体がそこまでの影響力を物語っていたのかもしれない。ここからは、ストリートカルチャーにおける自分のハイライトを記載してみる。結論から述べると、コンプレックスと憧れの混在で相反する複雑な気持ちを抱えたまま成長してしまったということになるが、単純に自身の弱さが引き起こしたことであって、あくまで一個人の御託としてお付き合い頂きたい。何も成し遂げていない存在の自分語りほどダサいことはない。少しばかりの抵抗を感じつつ、この執筆をもってモヤモヤする過去との別れとしたい。
小学1年生の時、学校の下駄箱でNIKEという存在を知る。オシャレな友人が履いてきたそれはスニーカーと呼ばれ、どうやらウチの親が運動靴と呼んでいるやつのカッコいいバージョンらしい。彼のスニーカーの踵部分には、エアと言われる透明の素材が使われていた。「すげえ!」本当に衝撃的だった。今でも映像で脳裏に焼き付いているその瞬間、初めてブランドという概念を認識した。クラスでただ一人、NIKEを誇らしそうに履く彼の姿を見て、ブランドとはステータスであり周りから注目を集める為の一つの手段なのだと、非常に偏った定義を漠然としていた。しかし、その時点ではそれ以上の発展は無かった。何故なら、比べ物にならない程にもっと強く興味を引くコンテンツが、僕らのコミュニティを充実させていたからだ。ドラクエのバトルえんぴつ・ミニ四駆・ゲームボーイ・ポケモン・たまごっち・ハイパーヨーヨーといったメガトレンドが次から次へと世の中を席巻し、その流れは地方の小学校にも押し寄せてきた。当然、目まぐるしく変わる流行物の全てを親が買い与えるはずがない。ただ、クラスでどのグループに所属するにしても話についていかなければならない歪な状態だった。仲間外れやイジメは日常茶飯事で、ヒエラルキーの中間より下は皆が加害者にも被害者にも順番になるサバイバルだった。幼い頃から、モノをモノとして関心を持ち感動できないのは居場所を作る為だけの道具だったからだ。実体の無い何かにずっとムカついていた。
少し時間が経ち小学6年生の時、友人にコンビニの雑誌コーナーに案内された。「あの公園にいる先輩達が見ている雑誌はこのあたりだよ」と教えてくれたのが、『Ollie』と 『warp』というストリートファッション誌であった。紙面では、今まで全く触れたことのないストリートカルチャーというものについて紹介されていた。実家近くの公園周辺にはスケボーのトリックに使える構造物や坂道があってスケーターの先輩達が屯しており、僕はずっと気になっていた。小学生の僕らには当然近寄りがたい存在であったが、そんな雑誌を通して彼らがどんなコトやモノに関心があるのか知ることができてちょっとだけ嬉しかった。不良っぽく反抗的で社会に対するアンチテーゼを表現しているのに、どこか新しさがありデザインが洗練されている。怖いとカッコイイが共存している不思議な感覚にすごく惹かれたし、その世界の中にいる先輩達に憧れた。そのコンビニの道を挟んだ反対側には、今まで通い詰めていたハローマックという玩具店があって、ガラス越しに見るそれは何というか子供からの脱皮を試みる感じで今までの自分と対照的だったことを覚えている。
中学校に進むと、ここから暗い3年間が待っていた。完全に『SLAM DUNK』の影響でバスケ部に入部するつもりが、先輩の代で廃部となっていた。他にやりたいことはなく、内申点を獲得する目的だけのために別の部活で活動していた。そんな部室の前では先輩達がスケボーで滑っていて、中学校にスケボーを持ってくるあたりが当時は新鮮だった。時はストリートカルチャー全盛期。当時の生徒達はとてもませていて、僕はそれ系の洋服やスニーカーといったアイテムを所持していないと仲間に入れないようなコミュニティに属していた。クラスでは、どのストリートブランドに傾倒するのかという話題が多かった。最初は全くついていけず、やはりココでも所有物の呪縛に囚われるのかと残念に思った。前述のようなファッション誌を読み漁っては、探り探り友人との間合いを詰めた。休日には先輩達が住宅地の一角を使ってフリーマーケットを開き、自分たちの所有するブランド品の洋服を後輩に売っていた。僕は、Stussy / DEVILOCK / DOARAT / MACKDADDY / SWAGGER といったストリートブランドを偶像崇拝していた。購入する洋服のサイズ感やシルエットはどうでもいい。ただ、それらのブランド名がタグに載ってさえいれば、あるいはロゴがプリントされてさえいれば問題ない。小学校の時と同じように所有していれば問題ないのだ。しかし、時には1回の買い物で数万円使うことになり痛すぎる代償となる。だから、僕にとってブランドとは非常に厄介な存在だった。当時は子供だったしネットも無いので、そのブランドができた背景や人気になるまでのストーリーを理解していなかった。高価であるにもかかわらず所有者としての教養がないので、そのシーズン周りの人から自分を承認してもらう為だけに存在する消耗品でしかなかった。消耗されて使わなくなり、残ったのは劣等感だけだった。
一転して、高校生活はとても良かった。ありのままを素直に受け入れ合える友人と出会い、らしさを解放できた気がする。クラスのみんなは賢く、自分をちゃんと持っていて尊敬できる人達だ。皆それぞれ、好きなことや熱中できることがあって羨ましいと思った。特に仲の良い友人の一人は、洋服やスニーカーが大好きな人で、何というか彼は物を物として愛でることができる人。意味のある所有の仕方をしていて物を大事にできる人だった。だから話をしていて勉強にもなるし、何より楽しかった。このタイミングで、ちょっとだけ純粋にストリートカルチャーを好きになった気がする。男子寮前の道路では、ここでも生徒達がスケボーでカラーコーンを飛び越えていた。HIPHOPで気分を高めては机に向かい、星空の下ストリートバスケで汗を流して青春と呼べる時間を過ごした。一番の思い出は、SpyMasterというローカルファッション誌に載りたくて、ストリートスナップの撮影予定日に合わせ、友人とわざわざ街に出かけたことだ。なかなか声をかけてもらえず、商店街を数分おきに何往復もしたのを覚えている。実際、撮影となるとそれはそれで緊張した。笑
あれから約20年、いくつかのストリートブランドは買収されたり倒産したりして、かつてほどの勢いは無い。コンビニの雑誌コーナーでもストリートファッション誌をあまり見かけない。ただ、文化としての価値は今もあることを僕は知っている。やはりその中核を成す根源的な部分の生命力は凄い。それは、音楽とスポーツである。情報の無い時代よりも、さらに混迷を極める現代社会でHIPHOPの存在価値はむしろ増していると感じる。圧をかけられた空気をカッコよく吐き出してくれる存在が一定数に求められているのかもしれない。かく言う僕も時々元気をもらっている。スポーツとしては、スケボーをはじめとするエクストリームスポーツがオリンピック種目となり日本人選手も活躍している。あの日公園で夢中になって目で追ったように、伝統的な競技と比較して幼い子供にまでリーチするのは、これらのスポーツにはどこかアートっぽさが有るからだろうか。これからも、ストリートカルチャーは音楽とスポーツを中心にその時代の若者を魅了するだろう。思春期に、この文化の”人を動かす影響力”をまざまざと感じたことは幸運だったかもしれない。どの時代のどの国の若者にも広く職人の手仕事を知ってもらおうとした際、TRAD&RIDEでは親和性のあるインターフェースを使うのが良いと考えた。
ブランド品であれ何であれ、勃興したモノやそれにまつわる文化の周辺には持つ者と持たざる者とを隔てる壁ができる。子供にとっては、持たざる者とラベリングされることが怖い。もしそうである場合、自分自身を平常に保つには強靭な精神力や他人よりも秀でた身体能力を別に準備する必要がある。そんなことにまで思いを巡らせなければならない程、僕らの義務教育の空間はおかしな状態であったと記憶している。全員同じが良いと言っているのではなく、評価軸の少なさに絶望していた。現代では全てを認識不可能なほど情報が溢れている為、価値観や物差しは90年代のように限定的ではないはずだ。たとえ物理的距離があったとしても、共鳴できる仲間を全世界から見つけることは論理的には可能だと思う。孤独であることに変わりはないと反論されるかもしれないが…。ただ、持ってる物でその人は測れないのだとここに記載しておきたい。文化が悪いのではなく、僕の場合は解釈が偏ってしまったことを反省している。
最後に、自分のコンプレックスなんて取るに足らない事であることは大前提としたい。世の中の社会課題と比べれば、とてもミクロな出来事だ。日本人は当たり前のことが当たり前すぎて、感動したり感謝するセンサーが鈍くなっていることは否めない。ベッドで眠りにつく時、きっと明日も朝がやって来ると信じて疑わない。人は残酷にも、産まれた”時代 × 場所 × 家系 × 環境”という場合の数の結果によって人生の半分以上は決まる。別の言い方をすれば、運で選択肢の数が決まる。それが幸せと直結するかはまた別の話だ。もし自分は不運だと感じたのなら、”役割ガチャ”という考え方が一つの慰めになるのかもしれない。仕事でも何でも「あなたの境遇で学んだことを通して、何かの役に立ちなさい」と、役割を設定された感覚。だから、天職が見つかったという人は本当に幸せなことだと思う。運の要素があるからといって努力をすることの効果は絶対に否定しない。同時に、どうにもできないことを受け入れ視座を変えてみる意味は大いにあると信じたい。
2024.05.05
