TRAD & RIDE

vol.3 伝統文化について 2/2

2024.01.28

column

店舗兼工場兼住宅という環境で父はいつも家にいて毎日遅くまで作業をしていた。店舗には、打合せするだけの小さなテーブルと過去に製作した商品のサンプルが飾ってある。工場の空間は奥行きがあり、長さのある幟旗を広げて文字を染めたり装飾を加えたりできる。型紙や型枠、そして大量の染料の容器が所狭しと置かれている。そんな仕事空間は僕にとって何の遊び場にもならず1ミリも興味が湧くことはなかった。唯一あるとすれば、端午の節句で飾られる5月人形の鎧兜のケース。あの中にはカッコイイ刀が立てられていて、僕はそれをパクッてはチャンバラで遊んでいた。父はいつも汚れた作業着を身に纏い、手のしわや爪先に洗い落としきれない染料が残った状態で家の中を忙しなく動く。僕は勝手に反面教師として父を捉えており、日に日にサラリーマンへの憧れは増すばかり。ネクタイを締めてスーツケースで出張ごっこに力を入れていた。笑

職人という生き方が、友人の父親と同じように仕事におけるONとOFFがはっきりとしないことへの嫌悪感がどうしても拭えなかった。いつも近くにいるのに、キャチボールをしてもらうだけでも作業の合間の隙間時間を伺っていた。当然、商売をやっているとお客様のご要望により子供との約束が延期になることもある。子供にリスケという概念は通用しないので、その度に不機嫌になっていた。たまに外食に連れて行ってくれるかと思えば、いつも幟や暖簾をウチで作って下さったお客様のお店。今はもちろん理解できるが、当時は自由にお店を選びたかった。だけど、娘や息子に愛情がなかったわけではない。むしろ父は優しさの塊のような人で子供たちのことはいつも大切に思っていた。未就学児の時から、習字 / スイミングスクール / ボーイスカウト / 英会話 / 少林寺拳法 / 塾 / 家庭教師といった、いわば教育の外注はたくさんしてもらった。その副作用の一つかもしれないが、いつしか父と本音で語り合うことも、語り合う話題すらも無くなっていった。

そんな父にはこれといった趣味が無く、遊んでいるところも自分の為だけに時間を過ごしているところもまず見たことがない。だからといって活き活きと仕事している感じでもない。いつも、悩んでいるというか課題を抱えている感じ。生きていて何が楽しいのだろうかと傍からみてずっと思っていた。そんな、不思議な眼差しを送っていたことを彼も気づいていたはずだ。それでも父は、黙々と工場に向かっていた。来る日も来る日も夜遅くまで試行錯誤をしているように見えた。印象に残っているのは、真冬の凍てつくような寒さのなか水槽に沈めた旗を洗っている後ろ姿だ。当然、母と子供3人を養う為に必死だったことはあるだろう。だが、どうやらそれだけではなさそうだった。「納得のいくモノを作りたい」そんな風に、染色業の職人として正解を突き詰めることに没頭していたようにも思う。

そんな中、時代的にデジタル化とインターネット化が世界を変えはじめていく。大型機械でテトロンなどの素材にプリントする技術が普及することで、幟や暖簾を手作業ではなく機械で簡単に大量生産することが可能になった。僕はそれを知った時、「これでいいじゃん」そう思った。手作りには味があるとか温もりがあって、そんな価値は機械には作れないという意見もある。その通りかもしれないが、それはあくまで消費者が決めることだ。父はこの業界にこれ以上の発展と繁栄は期待できないことを悟っていた。僕が中学生の時に、継ぐ気はあるかと聞かれたがそれが最初で最後だった。そして時は流れ、2019年の誕生日に僕は遠く離れた福岡の地で着信を受ける。病室の父からの電話だった。肺の病気を患っていて呼吸することが困難な状態。しゃべるのもやっとな中、有りったけの力を振り絞って「おめでとう」と言ってくれた。その感覚が今も耳に残っている。振り替えれば、息子に送る祝福の言葉はこれが最後とわかっていたようだった。

父を失って気づくことは、語ることがあまり無いという逆の凄さだと思う。酒も煙草もギャンブルもしない、不機嫌になることもないし家族に暴力も振るわない。ただの優しいお父さん。キャラクターとしての特徴は薄い。苦労や苦悩をアピールせず職人の在り方に淡々と向き合い、ひたむきな努力で母と一緒に家族を養いきった。病室で彼を看取る前、最後に聞き忘れたことがある。それは、職人という生き方は楽しかったかどうかだ。父が亡くなったからこそ芽生える感情がそこで初めて涙の後に溢れ出た。喪失感はもちろんあるが、それ以上に”ニーズが無くなると意味も無くなるのか”という単純な疑問だった。彼は僕の見えないところで、手作業を通してどんなことに喜びを感じていたのだろうか。あるいは、どんな発見があったのだろうか。何百年と続く文化の一端を担い、人生をかけた職業はどうだったのだろうか。何も知らないまま育てられた僕が、そのまま何も知らないのも気持ち悪いなと感じた。別に、いま現在において伝統文化に凄く価値があるとか意味があるとかは個人的には実感できていない。でも、答えが無いかもしれない問に対して探求してみるのも悪くないと思った。これから先、父以外の職人の方と出会い、その手仕事を通して父の見ていた何かを感じ取ってみたい。

2024.01.28

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