vol.7 価値と、TRAD&RIDEについて 2/2
2025.01.28

人はエゴの塊なので、モノづくりには必ずエゴが入る。それが良い悪いの議論ではない。作り手サイドが、自分らしさや他者との差別化、生産性、公益性、などを反映させるのはごくごく自然なことだ。失敗談だが、TRAD&RIDEも最初は奇をてらう作品を理想としていた。とにかくお金持ちの目に留まるような、いわゆる”ウケそう”なモノだ。職人のことを知ろうとせず、人気アーティストの力を借りて「きっと売れるモノはこういうものだから作ろう」と先走ってしまった。その時は、既存の勢いに乗せれば大量消費の中に上手く潜り混ませられると非常に浅はかな考えを持っていた。
結局のところ、価値はどれほど求められるかで決まる為、価値を出したいなら一定数のエゴに響くことがポイントなのであろう。例えば、”地球は自転している → 机の上に座るのは行儀が悪い”というように、全人類一致の認識から人によって意見が変わる身近な認識のどこかでズレが生じ、そのどこか心地よいところで「だよね。だよね。」と周りと確認し合いながら価値を形成していくのかもしれない。そうやって仲間を作り、いつの時代も無数のテーマで正義と正義が正面衝突してきた。
そもそも僕は人よりも、初期設定でモノや文化による呪縛に対して一定の恨みがあったことも相まって、前述のように自分たちが決めた”これが良い”というエゴをわざわざエネルギーを使って残すことに意味は無いと思ってしまっていた。時代的にもこれ以上モノを大量生産する必要性が薄れていく。見ないようにしているだけで、洋服も自動車も食べ物も何万トンと捨てている。サイニック理論で提唱されているように高度に最適化される時代へと突入してゆく。需要がないうえに後継者も不足するので、伝統文化における徒弟制度という仕組み自体の存続も危ういのだ。
そこで、少し視点をかえてみようと思った。今は必要でなくとも遠い未来、私たちの子孫が必要になった時に必要な分だけ必要なモノを作れる技術が、アーカイブ的に残っていればどうだろうか。それが日本だけでなく全人類に意味があるようにすれば後世の人も理解してくれるかもしれない。とはいっても、職人の手仕事を修行という形で後継者に伝承する以外には今のところ技術保管の方法は無い。だから、まずは現役の職人についてきちんと向き合い深掘りするところから始めようと思った。
自分のエゴで価値を再定義してみようと試みた際、日本の職人界隈が興味深いと思ったのは、アーティストやクリエイターそして作家とは違って現在進行中の史実であるというところだ。何百年と伝わる焼き物や刀、何百年も修繕を繰り返す神社仏閣など今日までずっと続いてきた上で、今この瞬間もその地域で手を動かしている職人がいる。その技術の全てがまだ滅びてはいない。職人達にもあるであろう自身のエゴと、長い歴史とを上手く摺合せて共存させているように見える。
これから先、人類史において有名かどうかは関係無くマイルストーンとなるような人物。仕組みにハマり誰よりも早く最適解を出せるというよりは、自分なりの問題提起をして手や身体を動かす人材。そんな存在は貴重ではないだろうか。人生をかけて孤独と闘い試行錯誤が出来る人は本当に限られる。そんな側面を職人の姿に垣間見た時、後世にとって価値があるのは過去問の答え(=その人が作ったモノ)というより、どんな時代のどんな場面でも使えるヒント(=技術)だと思った。それは、単なる製作手順(HowTo)だけではない、記憶 / 記録 / 体験 / 経験 / 感情 / 知識 / 知見 / 知恵 / 発想 / 思考 / 教訓 / 品格 / 美学 / 哲学 / 流儀 / 姿勢 / 心構え / 道具 / スペック / センス / ノウハウ / トラブルシューティング / ケーススタディ / リスクマネジメント etc.
果たしてどんな言葉がしっくりくるだろうか。とにかく、それら全てを内包する意味での”技術”である 。
そう。本当の価値は産み出す人の中に眠っている。掴んで奪い取るのは難しい。モノという形に乗せて未来に送るのは形の無いそれらだ。ハードからソフトに、そしてそのソフトがあればハードを再現可能な未来へ。そのほんの一端をメディア的に担い、技術を暗黙知から形式知へと促すような存在をTRAD&RIDEは目指したい。それはまるで世界中の種子を冷凍保存する種子貯蔵庫のように、人類保管及び繁栄という意味で価値があると僕は思いたい。と、かなり勝手に大袈裟な大義名分を決めつけたとこでそろそろこの記事を終えたい。
余談ではあるが、父の文字(書体)を気に入って下さって「あれと同じやつを作って下さい」と、今も問い合わせを下さるお客様がいらっしゃるそうだ。とても有り難い話だ。母と車で地元の街を走った際、商店街などに掲げられている幟を指差し「あれはお父さんの字だ」と言う。最近でこそ、僕も見分けることができるようになったが、今まで興味すらなかったうえに考える意味すら無いと思っていた。でも、ただの手作業にお客様から指名されるほどの技術があったのかと感じた。大衆ではないが誰かの心に父の何かが響いたのかもしれない。父がいない今、お客様のニーズを満たすことは二度とできない。
2025.01.28
